“歴史を受け継ぎ 交わる。つながる。”
江戸時代、城下町の南側にあり、交通や流通の要だった「羽州街道」と「酒田街道(羽州浜街道)」の合流地点に位置する旧松倉家住宅。当時のたたずまいをいまに伝える貴重な文化財として未来へ継承していくことを踏まえつつ、観覧するだけではなく、多彩な活用方法を発信し、人が集い、つながることで、にぎわいをもたらす空間に生まれ変わりました。
旧松倉家住宅が所在する旧馬口労町(ばくろうまち)は、久保田城下の外町(とまち)の南に位置し、羽州街道と酒田街道(羽州浜街道)の交わる箇所にあります。江戸時代は馬市が開かれ、旭川にかかる刈穂(かりほ)橋のたもとに船着場があるなど、大変にぎわった交通の要衝でした。
松倉家は寛延2年〈1749〉頃に始まる商家で、当初は油屋を営み、明治になり大地主として穀物の取り扱いなども行っていました。旧松倉家住宅は、主屋(おもや)〈明治39年(1906)〉、米蔵〈天保10年(1839)以前〉、文庫蔵〈慶応2年(1866)〉、覆屋(おおいや)〈明治末期〉で構成される県内屈指の大規模な町家で、建物は主屋の間口に切妻(きりつま)屋根をかけた妻入り造り、内部は通り庭に沿って各部屋を2列に配置し、さらに前部に座敷を続けて鍵座敷型の間取りにするといった造りとなっています。
江戸時代後期以降の秋田の町家形式をよく伝える、明治期における最も完成された町家として、また、意匠にも優れた貴重な建造物として、平成29年〈2017〉には秋田県の有形文化財に指定されており、周辺の歴史的景観とあわせて、城下町の趣を今日に伝える貴重な文化遺産として存在感を示しています。
羽州街道は、江戸時代に整備された街道のひとつで、奥州街道と並ぶ、東北地方の大動脈でした。 羽州街道のルートは、奥州街道から福島県の桑折(こおり)で分かれ、宮城県を経て奥羽山脈を越え、山形県、秋田県を北上し、青森県の油川まで続く、交通、流通の要であった歴史の道であり、江戸時代の紀行家・菅江真澄、明治時代の旅行家・イザベラ・バードなどが旅の記録を残しています。
雄勝峠を越えて現在の秋田県に入った羽州街道は、現在の湯沢市、横手市、大仙市協和を通り、現在の秋田市河辺和田に入ります。和田からは戸島、御所野、御野場、牛島、楢山を通り馬口労町、現在の旭南に入り、茶町、大町と久保田城下町のメインストリートを進み、北に左折、通町を通り、八橋、寺内、土崎、そして中野、追分へと続いています。
まちづくりファシリテーター
秋田県ヘリテージ・マネージャー
旧松倉家住宅スタッフ
平元 美沙緒さん
外町を歩くと、あちらこちらに歴史の名残があることに気づきます。城を守るために並ぶ寺院、わざと見通しを悪くした道、三角屋根の町家…。そんな”町の記憶”をヒントに、街道を行き交う人でにぎわい、町人がたくましく生きた昔の風景をイメージすれば、あっという間にタイムスリップ!ヒントが見つからない時は、町に建てられた「歴史等の所在を示す標柱」にも注目してみてください。